突然ですが、今高知にいます。写真大量にあるけどこのPC縮小ソフトないからアップできないな。。
21年半生きてきてはじめての高知県なのだが、ここまでで高知について感じたことを簡単にまとめておこうと思う。
今日の夕食は高知駅前のスーパーで半額の刺身を手に入れたのだが、食べる場所がなくて、結局高知駅前のベンチみたいなところで食べることにした。正直そんなところで刺身を取り出すのは非常に勇気がいったのだが、一応旅行記用に写真撮ってたら、「あの人何撮ってるんだろ?」「試し撮りじゃね?」みたいな会話を通りがかりの若者4人組にひそひそ話された。いいじゃねえか何撮ってても。
で、食べ終わった後、ちょっと高知駅周辺をうろうろしてたら、意味なくおっさんが怒鳴り散らしていた。こわいこわい。思わずおっさんから遠ざかった。
そして、ネカフェに入ろうとエレベーターに乗り込もうとしたら、降りてきたのがどう見ても悪そうな兄ちゃんだった。しかも兄ちゃんエレベーターで思いっきりタバコ吸ってた。おかげでエレベーターがヤニ臭いのなんの。
そんなわけで、下北沢や池袋という東京のど真ん中でネカフェ泊やったことがあるにもかかわらず、正直高知でネカフェ泊はちょっぴり怖く感じている自分がいる。果たして大丈夫なのか。しかもこのネカフェのパソコン、かなり打ちづらい上にいつもTwitterを確認するCrowyというクライアントがえらく挙動不審なので不安だ。救いは、フラットの部屋を確保できたので、完全に横になって寝られるくらいか。
ところでこのネカフェ、さっき入室しようと移動してたら、大歩危駅から高知駅まで同じ列車だった外国人女性2人組がいた気がするんだが・・・。途中の新改駅で行き違いのときに駅ノートに書こうとして多少しゃべったし、まったく言葉を交わしてないといえばうそになるのだが、こういうときどうすりゃいいんだろう。ちなみに、割と日本語は流暢ぽい。
高知は波乱を呼ぶ土地だなあ、というのがファーストインプレッションである。明日は行けそうなら桂浜も行きたいけど、高知市内中心部で終わっちゃいそうだなあ。明日実家に戻る予定。
2012/03/30
2012/03/29
代表を引き継ぐにあたって。
つい、2時間ほど前、ぼくが所属する大学生Skype討論会リュミエールの第18回討論会が無事幕を閉じた。今回も顔なじみのメンバーが集まって、Skype上でわいわい夜中の1時まで。楽しいひと時をつくることができてよかった。
そして今回の討論会をもって、リュミエール代表のキューが代表を退いた。
1年半前、リュミエールに携わるようになったときはまだそんなに彼と話す機会がなかった。きちんと話すようになったのはリュミエールに携わって半年以上経ってからじゃなかろうか?
当時、東日本大震災などもあって活動が止まっていたのをなんとか動かそうとしている中でももほがリュミエールを引退することになり、彼女は新代表にキューを指名した。そこからよく彼とリュミエールをどのようにすべきか、何度も何度も話し合った。
やがて杉谷くんやがつをさんという仲間が新たに加わり、リュミエールはどんどん変わっていった。間違いなく、その原動力はキューだったように思う。彼が代表として、リュミエールと言う団体を土台からしっかりと支えてくれていたからこそ、今のリュミエールがある。
そういえば去年の秋、埼玉でリュミエールメンバーと集まった時一番長いこと時間を共にしていたのがキューだったのだが、帰りの電車でリュミエールの問題点をしたためたメモ書きを見せられて、「しゅんはどう思う?」とその場でちょっとだけ意見交換した。意見を言いながら、ああ、キューはここまでリュミエールに対して心血注いでるんだなあ、と思わず感心したのを覚えている。
今思うと、ももほがキューを指名したのも、キューの持つ、みんなをうまくまとめる力や団体について考えているところをきちんと見ていたんだな。あのとき、キューは「えっ、俺で大丈夫なの?」というリアクションをしていたが、あの時のももほの指名は決して間違いではなかったと、強く感じる。
そんな彼から、いまぼくは、「代表」という重い肩書を受け継いだ。
受け継いだ途端にこんなことを言うのもあれだけど、ぼくは何度か委員会のトップをやったことがあるが、どうも苦い思い出しかない。小学校の6年生を送る会の合唱委員会委員長になった時もクラスに配る合唱曲のテープのダビング作業の指示をすっかり忘れて先生にめちゃくちゃ叱られたし、高校の学祭実行委員長をやった時もあまりの仕事のできなさにしょっちゅう他の委員に叱られていた。
大富豪でも都落ちルールのある大富豪より富豪になったほうが満足感が高かったし、「副委員長」くらいの地位の方が好きだった。そういえば初めてもらった役職も、小学校の児童会の副会長だったし、高校の時2年連続で学祭の副実行委員長をやった時もすごく楽しかった。
そんなぼくが、今また代表と言うトップの仕事をしようとしている。ぶっちゃけ、不安しかない。が、みんなに期待されている以上、きちんとこなさなければならない。ぼくはどうも仕事を他人に割り振ることが苦手なところがあるので、その辺にも気を付けながら、もっともっとリュミエールを大きな団体にしていかねば、と思っている。
これからまた、散々ご迷惑をおかけするかと思いますが(特に杉谷くんとがつをさん)、大学生Skype討論会リュミエール代表として、今後ともよろしくご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。新体制の大学生Skype討論会リュミエールに、ぜひぜひご参加ください。
そして、キュー、卒業おめでとう。これからもひとりの良き友人として、よろしくお願いします。代表お疲れ様。
そして今回の討論会をもって、リュミエール代表のキューが代表を退いた。
1年半前、リュミエールに携わるようになったときはまだそんなに彼と話す機会がなかった。きちんと話すようになったのはリュミエールに携わって半年以上経ってからじゃなかろうか?
当時、東日本大震災などもあって活動が止まっていたのをなんとか動かそうとしている中でももほがリュミエールを引退することになり、彼女は新代表にキューを指名した。そこからよく彼とリュミエールをどのようにすべきか、何度も何度も話し合った。
やがて杉谷くんやがつをさんという仲間が新たに加わり、リュミエールはどんどん変わっていった。間違いなく、その原動力はキューだったように思う。彼が代表として、リュミエールと言う団体を土台からしっかりと支えてくれていたからこそ、今のリュミエールがある。
そういえば去年の秋、埼玉でリュミエールメンバーと集まった時一番長いこと時間を共にしていたのがキューだったのだが、帰りの電車でリュミエールの問題点をしたためたメモ書きを見せられて、「しゅんはどう思う?」とその場でちょっとだけ意見交換した。意見を言いながら、ああ、キューはここまでリュミエールに対して心血注いでるんだなあ、と思わず感心したのを覚えている。
今思うと、ももほがキューを指名したのも、キューの持つ、みんなをうまくまとめる力や団体について考えているところをきちんと見ていたんだな。あのとき、キューは「えっ、俺で大丈夫なの?」というリアクションをしていたが、あの時のももほの指名は決して間違いではなかったと、強く感じる。
そんな彼から、いまぼくは、「代表」という重い肩書を受け継いだ。
受け継いだ途端にこんなことを言うのもあれだけど、ぼくは何度か委員会のトップをやったことがあるが、どうも苦い思い出しかない。小学校の6年生を送る会の合唱委員会委員長になった時もクラスに配る合唱曲のテープのダビング作業の指示をすっかり忘れて先生にめちゃくちゃ叱られたし、高校の学祭実行委員長をやった時もあまりの仕事のできなさにしょっちゅう他の委員に叱られていた。
大富豪でも都落ちルールのある大富豪より富豪になったほうが満足感が高かったし、「副委員長」くらいの地位の方が好きだった。そういえば初めてもらった役職も、小学校の児童会の副会長だったし、高校の時2年連続で学祭の副実行委員長をやった時もすごく楽しかった。
そんなぼくが、今また代表と言うトップの仕事をしようとしている。ぶっちゃけ、不安しかない。が、みんなに期待されている以上、きちんとこなさなければならない。ぼくはどうも仕事を他人に割り振ることが苦手なところがあるので、その辺にも気を付けながら、もっともっとリュミエールを大きな団体にしていかねば、と思っている。
これからまた、散々ご迷惑をおかけするかと思いますが(特に杉谷くんとがつをさん)、大学生Skype討論会リュミエール代表として、今後ともよろしくご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。新体制の大学生Skype討論会リュミエールに、ぜひぜひご参加ください。
そして、キュー、卒業おめでとう。これからもひとりの良き友人として、よろしくお願いします。代表お疲れ様。
2012/03/27
ちょっとだけ、3年前にタイムスリップ
とくしまカフェではお世話になったこんかなとゆっくり話そうぜということになって、今日は夕方前から河原町へ。そのあと、こんかなと別れてせっかく河原町まで来たんだし、と高校時代編集スタッフやってたフリーペーパー「the-keys」の活動場所、中京青少年活動センターにちょろっと顔を出しに行ってきた。
んで、ちゃっかり最新号をGET。個人的には京都アストドリームス(女子プロ野球)の特集で、スワローズの川端の妹にFAXインタビューしてたのにちょっとぐっと来た。確か彼女はアストドリームスの中心選手だったはずなので、そんな選手にインタビュー成功するなんてすげー、と思わず感心。
それにしても発行するたびにグレードアップしてるなあ、と思ったら、今の編集部はイラレを駆使して記事を作ってるらしい。ぼくが所属してた時代はWordで編集するのが当たり前だったのに、時代は進歩したなあ・・・。まあ、ある程度はWordを使いこなせるようになったので、逆にWordで良かったな、という気はするけど。
考えてみれば、ああやってWordでひたすら記事作ってたのって、もう3年前なんだな。時の流れは早いねえ、なんて言いながら、編集スタッフ時代お世話になってた職員さんと今のkeysの話から昔の思い出話まで、懐かしいひと時。仕方のないことなのかもしれないけど、当時他にお世話になってた職員さんも様々なセンターに転勤されてるのが寂しい。あのときは、色々大変だったけど楽しかったな・・・。
本来ならばこれと併せて母校にも顔を出すつもりだったのだが、起きたらこんかなとの待ち合わせ時間の50分前で大慌てで実家を出てきたので、母校には寄れず。まあ、母校は文化祭と同窓会で散々顔出したからいいか・・・。そういえば、文化祭の時にうちの母校にこのkeysが平積みされててびっくりしたな。こういうきっかけで母校の後輩がkeys編集部に入ってくれると、嬉しいんだけど。
母校に行っても、中京に行っても、顔出すとものすごく歓迎してくれて、帰り際には「また寄ってな!」と気軽に言ってもらえるし、別なところには「また会おな!」と言いあえる仲間がいる。ああ、ぼくの故郷はここなんだなあ、と思うと同時に、そんな場所があってぼくは幸せだな、と思いながらの帰路だった。
来週にはもう岐阜に戻るので、この風景もしばらく見られなくなるな。
んで、ちゃっかり最新号をGET。個人的には京都アストドリームス(女子プロ野球)の特集で、スワローズの川端の妹にFAXインタビューしてたのにちょっとぐっと来た。確か彼女はアストドリームスの中心選手だったはずなので、そんな選手にインタビュー成功するなんてすげー、と思わず感心。
それにしても発行するたびにグレードアップしてるなあ、と思ったら、今の編集部はイラレを駆使して記事を作ってるらしい。ぼくが所属してた時代はWordで編集するのが当たり前だったのに、時代は進歩したなあ・・・。まあ、ある程度はWordを使いこなせるようになったので、逆にWordで良かったな、という気はするけど。
考えてみれば、ああやってWordでひたすら記事作ってたのって、もう3年前なんだな。時の流れは早いねえ、なんて言いながら、編集スタッフ時代お世話になってた職員さんと今のkeysの話から昔の思い出話まで、懐かしいひと時。仕方のないことなのかもしれないけど、当時他にお世話になってた職員さんも様々なセンターに転勤されてるのが寂しい。あのときは、色々大変だったけど楽しかったな・・・。
本来ならばこれと併せて母校にも顔を出すつもりだったのだが、起きたらこんかなとの待ち合わせ時間の50分前で大慌てで実家を出てきたので、母校には寄れず。まあ、母校は文化祭と同窓会で散々顔出したからいいか・・・。そういえば、文化祭の時にうちの母校にこのkeysが平積みされててびっくりしたな。こういうきっかけで母校の後輩がkeys編集部に入ってくれると、嬉しいんだけど。
母校に行っても、中京に行っても、顔出すとものすごく歓迎してくれて、帰り際には「また寄ってな!」と気軽に言ってもらえるし、別なところには「また会おな!」と言いあえる仲間がいる。ああ、ぼくの故郷はここなんだなあ、と思うと同時に、そんな場所があってぼくは幸せだな、と思いながらの帰路だった。
来週にはもう岐阜に戻るので、この風景もしばらく見られなくなるな。
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