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2013/01/12

卒論書いて気づいた5つの反省

月曜日、4月から取り組んでいた卒業論文を提出した。
まあ、提出しても、ひと月後に口述試験があるので、まだまだ気を抜くことはできないんだけど。

正直今、あまりにもこの9か月間卒論がつきまとったせいか、何か落ち着かないのが現状である。

さて、卒論を書いてみて思ったことが色々あったので、反省も兼ねてここにまとめてみようと思う。
・・・ほんとは早いこと書きたかったけど、なんかうまくまとまらなくて。

もっと早く本の存在に気づけばよかった

今回取り組んだ研究は割と先行研究に乏しい分野で、CiNiiで論文検索してもヒットした論文が少なく、ぼくの卒論はいきなり行き詰った。あまりに先行研究調査が進まないせいで、指導教員の先生にテーマ変更を手紙でしたためた事もあった。

結局先生のアドバイスもありテーマ変更はしなかったのだが、夏も終わろうかと言うある日、添削について質問した時にとある本を推奨され、さっそく大学図書館で借りた。

・・・なんやこれ、めっちゃ使えるやん!

それ以降、CiNiiでの論文検索はほとんどせず、図書館で何度も何度も同じ本を借りる日々が始まったのだった。そういえば、2年の時にやってた「心理学実験」と言う授業で毎週レポート書くときは、ひたすら本を引用してやってたことを思い出した。

困ったら図書館へ。なんでこの事に、暑い夏が終わりかけの頃に気づいたんだろう、と思う。

アンケート調査は常日頃からまじめに記入すべきだった

今回、ぼくは約180人の学生さんにアンケート調査を行った。当然それ相応の準備をする必要があるのだが、紙の調達まで自分がやるという初歩的なことに気が付いた。ドンキの500枚入り298円のA4コピー用紙を何箱買ったか分からない。

そこで思い出したのは、自分が1年生の頃、同じように4年の先輩方からのアンケート調査が毎時間、どの授業に出てもあったことだった。辟易してしまった自分はアンケートを持ち帰り、そのまま出さなかったこともあった。

しかし、今でも書類の山のどこかにあるその質問紙も、先輩が身銭を切って、手間暇をかけて準備した物なのである。3年かかってようやく気づいたぼくは、あの時の先輩方に申し訳ないことをしたな、と反省し、友人たちの質問紙には全力で答えるようにした。

そしてあの頃の不真面目さが、今回自分が行ったアンケート調査にも返ってきてるな、と思ったのだが・・・これ以降の話は秘密。

調査のスケジュールをきちんと組み立てるべきだった

アンケート調査は一部を除いて、人が多い講義を狙って配らせてもらうことにしたのだが、この時一切スケジュールを立てなかったせいで、もうちょっとでえらい目に遭うところだった。

例えばAと言う授業を60人、Bと言う授業を100人受講していれば、2つの授業で配れば160人のデータが取れると思うが、実際にはAとB両方取っている人が複数いる。同じ人に何度もアンケートを取れないので、実際には160人取れないのだ。

そしてぼくはそのドツボにハマった。結果、100人の大講義でデータを取れたので満足していたら、以前配った授業で回答済みの人が多く、準備したアンケート用紙が大量に余った。そしていざデータ入力したら全然足りない。締切はひと月前に迫ってる。

こうしてぼくは大慌てで様々な先生の研究室を訪問して回り、直近で質問紙を配らせてもらえないか頭を下げに行くことになったのだった。

そういえばその100人の大講義でデータ取った時、誰が調査に参加したかを記録する紙を準備し忘れて先生に叱られたこともあった。その記録用紙まで事前に準備する必要がある事を失念していたのだ。

データをもう少しきちんと管理すればよかった

幸いにして、ぼくは卒論のデータがぶっ飛んだということは無かった。大学のPC、自分のPC、USBメモリの3重バックアップ体制が功を奏したものと思っている。

が、この3重バックアップ体制が時として仇となることもあった。

卒論を提出した日の朝、自分のPCで軽く作業して、USBを抜いて大学へ行く。あとは印刷するだけだ・・・と大学のPCでUSBに入った卒論のデータを呼び出そうとすると、最終更新日が2012年12月・・・?

そう、朝作業してUSBに新しいデータをコピーするのを忘れて家を出てきたのだ。実はこの手のミスを、卒論期間中何度もやらかしている。ひどい時には新しいデータに古いデータを上書きして、半ページほど書いた考察が消えたこともあった。

最後にきちんと誤字脱字がないかチェックすべきだった

こうして晴れて先生からのお墨付きをもらい、無事締め切り3日前に提出した訳なのだが、提出するのとは別に出しておいた自分の論文をぱらぱらと眺めていて気が付いた。

明らかな誤植が2つも見つかったのだ。

その他にも、まあ言いたいことは分かるけど、日本語的にそれおかしくない?という点がいくつもあった。先生からのOKで完璧に舞い上がってしまった自分の重大なミスである。色々失敗したけど、卒論での最大の失敗は?と尋ねられたら、間違いなくこれを推すと思う。

まとめ

と、まあ、反省点ばかりが浮き彫りに出てきたぼくの卒業論文だが、全体的な感想としては、書いてよかったと思っている。SPSSでのデータ入力は地獄だ、と聞いていたが、いざやってみるとものすごく楽しく、あれもう終わり?と思ったことを鮮明に覚えている。

3年ゼミでお試し版の論文を作成したが、その時は先生からあらかじめテーマを渡されて、しかも数人でひとつの論文を作った。今回のように一からテーマを決めて全てをやるのは大変だったが、好きなテーマで好きなように研究させてもらえたのは幸せだったな、と思った。

そして、2年の実習でSPSSをかじってたのも役立った。この実習と3年ゼミのお試し論文がこの卒論作業の下地になったのは言うまでもない。この選択は大正解だったな、と改めて実感している。

しかしながら、こうやって反省点を出していると、もっと努力していればより良い論文を書けたのにな・・・と思うのは事実。機会があれば、もう一度違うテーマで完璧な論文を書きたい、と思う。

最後に、今回の卒論制作にあたって、協力してくださった皆さん、応援してくださった皆さんに心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました!

2012/10/19

午前0時を過ぎたら1番に届けよう

バースデーソングと言えばやっぱりこれだな。

さて、昨日をもって、内から里崎・・・もとい、21歳から22歳となった。


起動させたニンテンドーDSのスペシャル起動音からピクトチャットで祝われるのも、すっかり毎年恒例。
今年もありがとう。

昨日はたくさんの方に祝っていただき、今までで一番の誕生日になった。
びっくりするくらいTwitter・Facebookでコメントを頂き、いいね!を押してもらい、凄く嬉しかった。
ほんとうに、ありがとうございました。

さて、22歳である。

2007年のパリーグ開幕戦、千葉の先発マウンドに上がった日本ハムのダルビッシュは、当時20歳。
2005年、千葉ロッテマリーンズが31年ぶりの日本一を果たしたとき、西岡が21歳で今江が22歳。

いつも通り野球で例えてしまったが、ぼくはもう、あの頃の彼らと肩を並べ、追い越してしまっている。
そんな年なのだ。今や、サッカーの日本代表でも同い年はザラにいるし(W酒井とか)、宮市は年下だ。

今の彼ら、昔の彼らと肩を並べられているか?と言われると、NOと言わざるを得ない。
むしろ、普通のそこらにいる学生よりも遅れを取っているんじゃないかとさえ思う。

いまのぼくにはまだまだ子どもっぽいところがあるっていうことだ。良くも悪くも。

もっと大人としての自覚を持たねばならない。小さなところから、こつこつと。
期せずして西川きよし氏の名言によく似たことを書いてしまったが、本当にそう思う。
とりあえずは今抱えている卒業論文と言う大プロジェクトを、完遂させて見せるところから始まる。

あとはまあ、下らないことにも真面目なことにも全力で、22歳を過ごしていこうと思う。

22歳のぼくを、今後ともよろしくお願いします。


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2012/04/07

いったいどこまでできるかもわからないけど

電波少年でおなじみ、Something ELseの「ラストチャンス」の一節より。

今日は土曜日ながら、大学でガイダンス。

とうとうぼくも大学4年生になった。何をするにも不安で不安で仕方なかったあの頃からもう3年も経ったのだ。間違いなくこの3年間は「早かった」と言える。

ぼくは1年の前期、ちょっと体調を崩してて必修科目しか取ることができなかったこともあって、人より20単位くらい少ないまま単位数が推移している。さっき授業を組んでみたら、卒業単位ギリギリになることになって、かなり綱渡りな状態で大学4年の生活を送ることになりそうだ(でもかなり不安なので先生に相談しに行くつもりである)。

それにガイダンスで、ぼくは学科主任の先生のゼミに所属することになった。一応第一希望が通ったのだが、学科主任の先生はユーモアがあると思う反面少し怖い先生だなと感じている面もあって、これもまた少し不安だったりする。一度、先生と腹割って話してしまえば、そうでもないと思うんだけど。

ただ、なぜかぼくは不安を胸にしながら、実はものすごくわくわくしている。

なんでこんなにわくわくしてるのか、実はよくわからない。これまでの自分なら、「ああいやだな・・・また授業授業な日々が続くのか・・・」とひたすら気が重くなっていたはずなのに、今はなぜかちょっと楽しみだったりもする。相変わらず授業の組み方とか全然慣れないのに、なぜか早く学校行きたい!という気分である。

こんな気分になるのはハッキリ言って自分らしくないので、正直今不安・ワクワク感・戸惑いの3つが自分の中を交錯している。そこで、こうやって文章にすることで自分の気持ちを確認しようとしているのだが、書いても書いてもモヤモヤは収まる気配を知らない。いったい、なんでだ?

ともあれ、なんか「やってやるぞ!」という気分になっているのは確かである。この気分が、果たして暑い暑い夏の盛りまで、ひたすら持続できるのか。飽きっぽいぼくにとって、これが一番難しい気もする。とりあえず、毎日朝は「MOCO'sキッチン」に間に合うように起きて(最近起きられてない・・・)、朝からしゃっきりとした気分で授業に臨むようにしたい、と思う。

とか言いながら、今思いっきり風邪を引いてるので、まずそれを治すのが先決だな・・・。

今日はガイダンスが終わってから、高知で買ってきた土産を友人にばらまいてたら、とある先生(よくテレビとかでコメントしてるような先生である)が土産に興味を示されたのでひとつお渡ししてみたら、すごい喜んでくださった。考えてみればあの先生と初めてちゃんとしゃべった気がして、ちょっとうれしかった。そして、もうちょっと土産買ってくれば良かった、と少し後悔した。

なんだかんだで、良い土曜日になったな。こんな素敵な日々が、毎日送れますように。

2012/04/02

4年目の一人暮らし

今からちょうど3年前、2009年の4月2日はたぶん一生忘れないんだろうなあ、と思う。


この日、ぼくは期待と不安に胸を膨らませて、故郷の京都を離れ、新天地・岐阜に旅立った。つまり、ぼくの一人暮らし生活がスタートしたのだ。

この日のことは、よーく覚えてる。

・昼間、祖母に玄関先まで見送ってもらい、実家を離れる
・京都到着後、お世話になった下京・中京の両青少年活動センターへ挨拶に出向く
・最後に母校に顔を出して、京都駅へ
・途中のすき家でそぼろ丼だったかを食べたんだったっけ
・京都16時発の新快速でついに京都を発つ
・18時くらいに新居に着いて、その足で鶏むね肉ともやしを買って、それらをゆでる
・そしたら鶏むね肉が全然生だったので焦る
・いろいろ疲れて20時には就寝

ひとりっ子で大人の中で育ち、新しい環境に順応するのが人より何十倍も苦手で、実家が大好きだったぼく。案の定、最初は苦労した。上の写真を撮った時は最低でもGWまで戻ってこないんだろうなあ、と思ってたけど、週末になるたびに荷物をまとめて京都に戻る日々が何か月も続いた。思い描いた一人暮らし生活にほど遠い内容に、大学に順応するのにも疲れたのも相まって1年の後期の最初の3週間は大学に行けなかった。

自分でも一人暮らしに慣れてきたな、と思うようになったのはつい最近のことだ。やっと2ヶ月くらい実家に帰ることなくこっちで生活できるようになって、初めて「やっと慣れてきたのかな」と思うようになった。まあこないだまで1ヶ月実家にいたんだけどね・・・。

しょっちゅう実家に帰ってる上、長期休みだと平気で何週間も実家にいるので、一人暮らし歴4年目に入ったのか、と思うとまったく実感が沸かないのだが、例え1泊2日の学校の宿泊研修なんかでも家に帰れないからめちゃくちゃ不安だった自分がここまで一人暮らしを続けられたことには、自分で自分に驚いている。

果たして、この岐阜という地で一人暮らしをするのはこの1年でラストになるのだろうか。来年からぼくはどこで一人暮らしするのか、はたまた実家に戻るのか。今はまだサッパリ分からないが、この部屋を引き払う時は、また新たな記念日になるんだろうな、という想像はだいたいつく。たぶん、ものすっごい寂しさに襲われるんだろうな、この部屋を出るときは。

・・・ううう、なんかこの文章をYoutubeでkiroroを聴きながら書いてたら、妙にしみてきたぞ。そんな記念日の今夜は、サークルの追いコン。風邪っぴきだからアルコールはやめとくかー。

2012/04/01

ダメな自分を愛せはしない、強く生まれ変われ!

だいぶ前に解散したCHARCOAL FILTERの「Brand-New Myself~僕にできること」の一節である。

ほんとうにぼくは飽きっぽいダメな性格だなあ、とつくづく思う。今年の正月、読書に目覚めたぼくは、月に10冊本を読むことにした。1月こそクリアしたが、2月、長期休みに入った途端から急にガクンと本を読むペースが落ち、ついには3月、たったの1冊しか読めなかった。せっかくの長期休み、ゆっくり小説を読もうかと司馬遼太郎の「坂の上の雲」を5巻まで借りたが、それも1巻の100ページも読んでいない。

中学生のころから親しんでいるブログだってそうだ。半年前の誕生日、月に4,5度しか更新してなかったSeesaaブログから、Tumblrに引っ越した。読みやすいように文章を型にはめた結果、もっと自由に文章を書き連ねたいと思い、ついでに引っ越すか、と思ったのだ。

Tumblrに引っ越してからはできる限り月2桁は日記を書くように心がけていたが、Tumblrは良くわからない部分も多く、またなんとなく引っ越したいなーと言う気がしていた。実際、はてなが新しく作ったブログサービスができたと同時に速攻で「shun」なるアカウントを取得して(この4文字でIDが取れたのは人生で初の出来事である)引っ越そうとしたが、はてなブログはまだまだ使いにくい面が多く、結局アカウントは休眠状態になった。

そんなとき、ふとこのbloggerを見つけたのだ。物は試しとアカウントを取得していろいろいじくってみた・・・いけるやん!

まずテンプレートを自由自在にカスタマイズできる点が気に入った。だいたいぼくはウェブページ上で出る明朝体と言うのが気に食わない(書類上の明朝体は好きなんだが)。なのでタイトルが明朝体なだけで「あ、このテンプレ使えねえな」と言うことが多々あるのだが、このbloggerは容易にフォントが変更できる。

しかもテンプレートごとにカラーセットがあるから好きな色合いに変更できるのも魅力だった。最近、タイで生まれた曜日別に「守護色」というものがあることを知り、ぼくが生まれた木曜日はオレンジが守護色だった。それが頭にあって、なんとなくどこかでオレンジを使いたいなー、と思ってたら、テンプレートにリンク色がオレンジ色のカラーセットがあって即決定。これはいいね。

というわけで、4月1日と言うたいへんキリのいい日から、このブログにぼくの思いや行動を記していきたいと思う。飽きっぽい性格を直すためにも、がんばらないと。自分を変えていかないと、と思う。新しいブログを、よろしくお願いします。

あ、ちなみに念のため言っとくけど、嘘じゃないからね、これ。

2012/03/29

代表を引き継ぐにあたって。

つい、2時間ほど前、ぼくが所属する大学生Skype討論会リュミエールの第18回討論会が無事幕を閉じた。今回も顔なじみのメンバーが集まって、Skype上でわいわい夜中の1時まで。楽しいひと時をつくることができてよかった。

そして今回の討論会をもって、リュミエール代表のキューが代表を退いた。

1年半前、リュミエールに携わるようになったときはまだそんなに彼と話す機会がなかった。きちんと話すようになったのはリュミエールに携わって半年以上経ってからじゃなかろうか?

当時、東日本大震災などもあって活動が止まっていたのをなんとか動かそうとしている中でももほがリュミエールを引退することになり、彼女は新代表にキューを指名した。そこからよく彼とリュミエールをどのようにすべきか、何度も何度も話し合った。

やがて杉谷くんやがつをさんという仲間が新たに加わり、リュミエールはどんどん変わっていった。間違いなく、その原動力はキューだったように思う。彼が代表として、リュミエールと言う団体を土台からしっかりと支えてくれていたからこそ、今のリュミエールがある。

そういえば去年の秋、埼玉でリュミエールメンバーと集まった時一番長いこと時間を共にしていたのがキューだったのだが、帰りの電車でリュミエールの問題点をしたためたメモ書きを見せられて、「しゅんはどう思う?」とその場でちょっとだけ意見交換した。意見を言いながら、ああ、キューはここまでリュミエールに対して心血注いでるんだなあ、と思わず感心したのを覚えている。

今思うと、ももほがキューを指名したのも、キューの持つ、みんなをうまくまとめる力や団体について考えているところをきちんと見ていたんだな。あのとき、キューは「えっ、俺で大丈夫なの?」というリアクションをしていたが、あの時のももほの指名は決して間違いではなかったと、強く感じる。

そんな彼から、いまぼくは、「代表」という重い肩書を受け継いだ。

受け継いだ途端にこんなことを言うのもあれだけど、ぼくは何度か委員会のトップをやったことがあるが、どうも苦い思い出しかない。小学校の6年生を送る会の合唱委員会委員長になった時もクラスに配る合唱曲のテープのダビング作業の指示をすっかり忘れて先生にめちゃくちゃ叱られたし、高校の学祭実行委員長をやった時もあまりの仕事のできなさにしょっちゅう他の委員に叱られていた。

大富豪でも都落ちルールのある大富豪より富豪になったほうが満足感が高かったし、「副委員長」くらいの地位の方が好きだった。そういえば初めてもらった役職も、小学校の児童会の副会長だったし、高校の時2年連続で学祭の副実行委員長をやった時もすごく楽しかった。

そんなぼくが、今また代表と言うトップの仕事をしようとしている。ぶっちゃけ、不安しかない。が、みんなに期待されている以上、きちんとこなさなければならない。ぼくはどうも仕事を他人に割り振ることが苦手なところがあるので、その辺にも気を付けながら、もっともっとリュミエールを大きな団体にしていかねば、と思っている。

これからまた、散々ご迷惑をおかけするかと思いますが(特に杉谷くんとがつをさん)、大学生Skype討論会リュミエール代表として、今後ともよろしくご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。新体制の大学生Skype討論会リュミエールに、ぜひぜひご参加ください。

そして、キュー、卒業おめでとう。これからもひとりの良き友人として、よろしくお願いします。代表お疲れ様。

2012/03/05

ぼくの母校の話。

金曜・土曜は母校の文化祭のために費やした2日間となった。

金曜の朝イチで岐阜から京都へ移動して、その足で母校まで。夕方まで作業した後実家に戻った。実家へ向かう電車内で寝てしまい、目が覚めたら実家の最寄り駅でドアが開く瞬間だった。あぶねー。うっかり快速に乗り遅れて最寄り駅どまりの電車に乗っててよかったよ。

で、土曜は朝から母校で文化祭本番。同窓会役員としてわちゃわちゃやってきた。文化祭プログラムの間違い探しに正解したらうっかり校内放送でインタビューに答えてしまう羽目になっちゃったり、打ち上げの記念写真のシャッター押しをやったり、とそこそこ目立ってしまい少し反省。

しっかし、まあ、なんですか、高校生って元気すぎる。模擬店宣伝の校内放送ひとつにしても「みなさーん、盛り上がってますかぁーっ!」ってハイテンションだし、打ち上げにしても突然クラッカーをパーン!と鳴らして誕生日祝ったり、写真撮影に大あらわ。今年22歳の人間にとっては完全にノリについていけず、こんな時期がオレにもあったんだよなあ・・・と妙な感傷に浸りながら見守ることしかできないのだった。

こうして2日ぶりに母校の空気にたっぷり触れたわけなのだが、やっぱうちの母校ってすげーなー、とか思った。

うちの母校は先生同士のチームワークが抜群な上、先生と生徒の距離がかなり近くて、生徒がものすごく先生を信頼している印象がある。これはぼくが在籍してた時から全く変わってない。生徒が先生をあだ名で呼ぶことも日常茶飯事(ぼくも高校の頃普通に先生をあだ名で呼んでた)だし、逆に先生が生徒をあだ名で呼ぶことも普通だ。なんだろう、生徒は先生を一種のお兄さんお姉さんっぽい感じで接してるんだろうな。

まあ、度が過ぎて完全に友達感覚で先生に接してる生徒もいるのは事実だが、それでもその態度をみてると「あ、この子、この先生のこと心から信頼してるんだなー」っていう気持ちは伝わってくる。そうじゃなかったら、軽音部のバンドステージで、先生と生徒が一緒に演奏することなんてないだろう。

これを聞いて、なんだその学校はけしからん、っていう人ももちろんいると思う。けど、ぼくはこんな学校も全然アリだと思う。全部の高校が同じような教育をしててもつまらない世の中になるだけだ。こんなスタイルの学校があっていいじゃないか。みんな違ってみんないい、というやつだ。

ぼくが母校に在籍してる頃はまったくそんなことは思わなかったのだが、周囲が就活就活してる中なので嫌でも将来を考えなければならない今の時期に母校に触れると、こういう職場なら楽しく働けるかもしれない、なんて、思ったり思わなかったり。少なくとも、これからの生き方を考えるいい機会になったな、と思う。

在籍中に比べて卒業して京都すら離れた今の方が母校が好きだなー、って思うし、帰省して顔出すたびにものすごく歓迎されたり、知らん間に卒業してから赴任された先生とも仲良くなったり、「またいつでも寄ってやー!」って言われたりするのって、嬉しいことだし幸せなことだよなぁ、と感じる。いつまで母校に甘えてるんだ、とか言われそうだけど。

・・・このページは実は母校の一部の先生が思いっきりチェックしている。だからなんだかこれアップするのけっこうこっ恥ずかしいんだけど、まあいいや。