2012/03/30

ちょっぴり怖い!?高知一泊

突然ですが、今高知にいます。写真大量にあるけどこのPC縮小ソフトないからアップできないな。。

21年半生きてきてはじめての高知県なのだが、ここまでで高知について感じたことを簡単にまとめておこうと思う。

今日の夕食は高知駅前のスーパーで半額の刺身を手に入れたのだが、食べる場所がなくて、結局高知駅前のベンチみたいなところで食べることにした。正直そんなところで刺身を取り出すのは非常に勇気がいったのだが、一応旅行記用に写真撮ってたら、「あの人何撮ってるんだろ?」「試し撮りじゃね?」みたいな会話を通りがかりの若者4人組にひそひそ話された。いいじゃねえか何撮ってても。

で、食べ終わった後、ちょっと高知駅周辺をうろうろしてたら、意味なくおっさんが怒鳴り散らしていた。こわいこわい。思わずおっさんから遠ざかった。

そして、ネカフェに入ろうとエレベーターに乗り込もうとしたら、降りてきたのがどう見ても悪そうな兄ちゃんだった。しかも兄ちゃんエレベーターで思いっきりタバコ吸ってた。おかげでエレベーターがヤニ臭いのなんの。

そんなわけで、下北沢や池袋という東京のど真ん中でネカフェ泊やったことがあるにもかかわらず、正直高知でネカフェ泊はちょっぴり怖く感じている自分がいる。果たして大丈夫なのか。しかもこのネカフェのパソコン、かなり打ちづらい上にいつもTwitterを確認するCrowyというクライアントがえらく挙動不審なので不安だ。救いは、フラットの部屋を確保できたので、完全に横になって寝られるくらいか。

ところでこのネカフェ、さっき入室しようと移動してたら、大歩危駅から高知駅まで同じ列車だった外国人女性2人組がいた気がするんだが・・・。途中の新改駅で行き違いのときに駅ノートに書こうとして多少しゃべったし、まったく言葉を交わしてないといえばうそになるのだが、こういうときどうすりゃいいんだろう。ちなみに、割と日本語は流暢ぽい。

高知は波乱を呼ぶ土地だなあ、というのがファーストインプレッションである。明日は行けそうなら桂浜も行きたいけど、高知市内中心部で終わっちゃいそうだなあ。明日実家に戻る予定。

2012/03/29

代表を引き継ぐにあたって。

つい、2時間ほど前、ぼくが所属する大学生Skype討論会リュミエールの第18回討論会が無事幕を閉じた。今回も顔なじみのメンバーが集まって、Skype上でわいわい夜中の1時まで。楽しいひと時をつくることができてよかった。

そして今回の討論会をもって、リュミエール代表のキューが代表を退いた。

1年半前、リュミエールに携わるようになったときはまだそんなに彼と話す機会がなかった。きちんと話すようになったのはリュミエールに携わって半年以上経ってからじゃなかろうか?

当時、東日本大震災などもあって活動が止まっていたのをなんとか動かそうとしている中でももほがリュミエールを引退することになり、彼女は新代表にキューを指名した。そこからよく彼とリュミエールをどのようにすべきか、何度も何度も話し合った。

やがて杉谷くんやがつをさんという仲間が新たに加わり、リュミエールはどんどん変わっていった。間違いなく、その原動力はキューだったように思う。彼が代表として、リュミエールと言う団体を土台からしっかりと支えてくれていたからこそ、今のリュミエールがある。

そういえば去年の秋、埼玉でリュミエールメンバーと集まった時一番長いこと時間を共にしていたのがキューだったのだが、帰りの電車でリュミエールの問題点をしたためたメモ書きを見せられて、「しゅんはどう思う?」とその場でちょっとだけ意見交換した。意見を言いながら、ああ、キューはここまでリュミエールに対して心血注いでるんだなあ、と思わず感心したのを覚えている。

今思うと、ももほがキューを指名したのも、キューの持つ、みんなをうまくまとめる力や団体について考えているところをきちんと見ていたんだな。あのとき、キューは「えっ、俺で大丈夫なの?」というリアクションをしていたが、あの時のももほの指名は決して間違いではなかったと、強く感じる。

そんな彼から、いまぼくは、「代表」という重い肩書を受け継いだ。

受け継いだ途端にこんなことを言うのもあれだけど、ぼくは何度か委員会のトップをやったことがあるが、どうも苦い思い出しかない。小学校の6年生を送る会の合唱委員会委員長になった時もクラスに配る合唱曲のテープのダビング作業の指示をすっかり忘れて先生にめちゃくちゃ叱られたし、高校の学祭実行委員長をやった時もあまりの仕事のできなさにしょっちゅう他の委員に叱られていた。

大富豪でも都落ちルールのある大富豪より富豪になったほうが満足感が高かったし、「副委員長」くらいの地位の方が好きだった。そういえば初めてもらった役職も、小学校の児童会の副会長だったし、高校の時2年連続で学祭の副実行委員長をやった時もすごく楽しかった。

そんなぼくが、今また代表と言うトップの仕事をしようとしている。ぶっちゃけ、不安しかない。が、みんなに期待されている以上、きちんとこなさなければならない。ぼくはどうも仕事を他人に割り振ることが苦手なところがあるので、その辺にも気を付けながら、もっともっとリュミエールを大きな団体にしていかねば、と思っている。

これからまた、散々ご迷惑をおかけするかと思いますが(特に杉谷くんとがつをさん)、大学生Skype討論会リュミエール代表として、今後ともよろしくご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。新体制の大学生Skype討論会リュミエールに、ぜひぜひご参加ください。

そして、キュー、卒業おめでとう。これからもひとりの良き友人として、よろしくお願いします。代表お疲れ様。

2012/03/27

ちょっとだけ、3年前にタイムスリップ

とくしまカフェではお世話になったこんかなとゆっくり話そうぜということになって、今日は夕方前から河原町へ。そのあと、こんかなと別れてせっかく河原町まで来たんだし、と高校時代編集スタッフやってたフリーペーパー「the-keys」の活動場所、中京青少年活動センターにちょろっと顔を出しに行ってきた。


んで、ちゃっかり最新号をGET。個人的には京都アストドリームス(女子プロ野球)の特集で、スワローズの川端の妹にFAXインタビューしてたのにちょっとぐっと来た。確か彼女はアストドリームスの中心選手だったはずなので、そんな選手にインタビュー成功するなんてすげー、と思わず感心。

それにしても発行するたびにグレードアップしてるなあ、と思ったら、今の編集部はイラレを駆使して記事を作ってるらしい。ぼくが所属してた時代はWordで編集するのが当たり前だったのに、時代は進歩したなあ・・・。まあ、ある程度はWordを使いこなせるようになったので、逆にWordで良かったな、という気はするけど。

考えてみれば、ああやってWordでひたすら記事作ってたのって、もう3年前なんだな。時の流れは早いねえ、なんて言いながら、編集スタッフ時代お世話になってた職員さんと今のkeysの話から昔の思い出話まで、懐かしいひと時。仕方のないことなのかもしれないけど、当時他にお世話になってた職員さんも様々なセンターに転勤されてるのが寂しい。あのときは、色々大変だったけど楽しかったな・・・。

本来ならばこれと併せて母校にも顔を出すつもりだったのだが、起きたらこんかなとの待ち合わせ時間の50分前で大慌てで実家を出てきたので、母校には寄れず。まあ、母校は文化祭と同窓会で散々顔出したからいいか・・・。そういえば、文化祭の時にうちの母校にこのkeysが平積みされててびっくりしたな。こういうきっかけで母校の後輩がkeys編集部に入ってくれると、嬉しいんだけど。

母校に行っても、中京に行っても、顔出すとものすごく歓迎してくれて、帰り際には「また寄ってな!」と気軽に言ってもらえるし、別なところには「また会おな!」と言いあえる仲間がいる。ああ、ぼくの故郷はここなんだなあ、と思うと同時に、そんな場所があってぼくは幸せだな、と思いながらの帰路だった。


来週にはもう岐阜に戻るので、この風景もしばらく見られなくなるな。

2012/03/26

こどもたち×まちあるき

春分の日となった先週火曜日は、早起きして朝から滋賀県の草津へ。NPO法人「D.Live」さんが企画されたまちあるきに参加してきた。


いい天気だったけど肌寒かったな。

じつはぼくの本籍地はこの草津だったりするので、幼少のころから本当になじみがある街なのだが、いざこうしてゆっくり歩く機会なんてめったになかったので、すごく楽しかった。草津駅周辺ってまあまあの頻度で来るけど、新たな発見もあったりして。


まあ、さすがにこれにはちょっと笑ってしまったけども。

もうひとつ。今回は子どもたちと一緒に「街にあるおもしろいもの」を探すというミッションがあったんだけど、子どもたちの発想がまたおもしろい。子どもたちはカメラを持っていろいろ写真を撮っていたのだが、データを見てみるとマンホールとか、木だとか、どうということはない道端の写真をたくさん撮っていて、子どもはこういう視点でもの見てるんだなー、と思わず感心した。

あと、懐いてくる子どもたちがかわいいのなんの。最初は(ぼくも向こうも)人見知りも手伝ってドギマギしていたのだが、いつの間にか懐いてくると平気でぼくの膝の上にどーんと腰下ろすし、知らん間に手繋いでくるし。まちあるきと子どもたちってほんとにおもしろくて楽しい存在だなー、と再確認した1日となった。

D.Liveのみなさん、ありがとうございました!

2012/03/25

コロガセ!

先週の日曜日は、フリーペーパー時代の先輩がボウリング大会を開くということで京都市内へ。


会場に着いてみると、「この辺一帯待ってる人みんな参加者だよ」と先輩に言われてビックリ。40人弱が参加して、知ってる人が件の先輩2人だけという状況に久しぶりの人見知り発動。しかも一緒のレーンの人が美人な人だったので尚更。先輩が同じレーンだったとはいえ、もうガッチガチ状態。

おかげで、第1ゲームの記念すべき第一投は大暴投となり、モニターには虚しく「GUTTER」の6文字が光っていた。

しかし2フレームでとりあえずスペアを出し、同じレーンの人とハイタッチしたりして徐々に輪に溶け込んでいく。同じレーンの先輩が豪快にストライクを連発する中、ぼくは徐々に徐々に調子を上げていって。


なんとか100越え。初っ端ガーターの割にはまあまあ取り返せた感じがする。

でも周りのレーン見渡してもこのスコアはかなり低い。そこで10ポンドのボールを思い切って取り替え、ひとつ重い11ポンドで第2ゲームに挑むことに。

するとどうだ、第2フレーム・第3フレームと連続でストライク。11ポンド恐るべし。意気揚々と第4フレームを迎えるが、ここでぼくの「ターキーがかかったフレームはストライクが取れない」という悪いジンクスが頭をよぎる。このことを口に出したら「大丈夫ですよー!」と励まされたが、結局ボールはまんまと左へ外れて3本止まり。まあスペアは拾ったから良かったけども、この瞬間「あ、今日のハイライトは過ぎたな」と悟る。

そして予感は的中した。早々と100越えを確定させた第9フレーム、連続で失投をやらかしなんとまさかの1本止まり。それ見たことか。ラストフレームもあと一歩スペアに届かず、


終わってみればさっきとほとんど変わらず。2ゲーム合計234、アベレージは誰でもわかる117という微妙な結果に。ちなみにこのスコア、女子のトップよりも全然低い。

結局男子の中でも下から3,4番目だったらしく、景品のくじ引きも後の方。同じレーンの人が体重計とか当ててる中引いたらなんかかわいらしいタオルが当たって、これもこれで自分らしいなあ、と。ちなみにぼくより後にくじを引いた男子最下位の人が一番高い商品を当てたらしく、「残り物に福がある」とはまさにこういうことなんだなあ、としみじみ思った。

この後打ち上げの飲み会に参加したのだが、朝から飲まず食わずでうっかりビールを口にしてしまったもんだから酔いが回りに回って途中数十分撃沈してしまったのはここだけの秘密である。

(なお、スコアの画像は「ボウリングの傾向と対策」を使用して作成しています)

2012/03/24

サイコロの旅をフリップ作ってやってみた。

先週の話から。

水曜どうでしょうの名物企画「サイコロの旅」をやりたいなー、と前から思っていて、ちょうど18きっぷが手元にあることだしやることにした。


「サイコロの旅」でブログ検索すると出てくる出てくる、フリップ印刷して実際にやってる人たちが。一応ぼくのAndroidにこんなアプリを入れてはいるが、これだと撮影とかいろいろ不都合があるなー、ということで、実際のフリップの画像と睨めっこしつつWordで作ったのがこれ。A6相当のサイズに印刷して、まずは大阪駅へ向かった。


大阪駅で振った結果。「大和路快速で」と書いてあるが、どうも次の直通の奈良行きが1時間も後らしいので、たまたま止まってた環状線に飛び乗って新今宮経由で奈良へ。


基本的に改札を出て目的地抽選することを心掛けていたのだが、奈良での選択肢は今着いた電車に乗らないと1時間待ちになってしまう目が半分を占めてるので、急きょホームで振った。・・・ら、大阪へUターンだと。

ちょうどやってきた区間快速で大阪へ。途中見事に寝てたので寝ぼけ眼で大阪駅に降り立ち、再びサイコロを振ってぼくは目を疑った。


えーと、また奈良へ行けと・・・?

仕方がないので2時間半前と同じように、新今宮まで出てから大和路線で奈良へ。ところが、快速が止まらないはずの柏原駅でなぜか停車・・・「この先の線路で人が倒れているという情報があるので運転を見合わせます」

ええええええええええええええええええ。

これは困った。隣のホームにさっき久宝寺で抜いたはずの各駅停車がやってきて、2本仲良く運転見合わせ。あっちは各駅停車なのでドアが開けれるが、こっちは本来止まらない快速なのでドアが開けられず完全に缶詰。と思ったらやっぱり客から苦情があったらしく、ドアが開いて柏原駅のホームに降り立てるように。

柏原駅で完全に足止め食らって30分、奈良までサイコロお預けはちょっと時間が勿体ないな、と感じたので、急きょ柏原駅のホームでサイコロを振ることに。ちなみに選択肢は朝奈良で振った時と同一にした。


で、出たのが三重県・亀山への目。大阪や和歌山が出たらここで折り返すつもりだったが、結局このまま乗り続けることに。柏原駅をようやく出発したと思ったら、王寺に着いたのはなんと50分遅れ。加茂行きだったのが奈良止まりになり、踏んだり蹴ったり。いやー、まさか新今宮から奈良まで1時間半かかるとはな!(本来なら1時間もかからない)

後の電車で加茂まで移動し、加茂駅前のローソンで昼飯を調達。40分待った末やってきた亀山行きでは座った瞬間から終点・亀山まで爆睡だった。


そして亀山で出たのが津への目。学校帰りの高校生に紛れながら津へ移動し、再びサイコロタイム。


名古屋へ向かうことになったのだが、この選択肢実は地雷だった。というのも、指令通り快速みえに乗ると、津から四日市の手前までJRとは別の線路を走るために18きっぷが使えない、つまり別料金がかかる。うっかり忘れてた・・・仕方なく500円ほど払って快速みえに乗る。

ちなみに、律儀に500円ほど払ったのに車掌は切符の確認に来なかった。これなら別にお金払わず黙って18きっぷで乗っててもバレないような・・・。


ちょっと名古屋で一息入れて次のサイコロ。結果は米原への目だった。自宅のある岐阜を通り過ぎ、日も暮れかかったころに米原到着。ここでも出た目によって乗り換え時間が少ないので、米原駅ホームでさっとサイコロを振った。

ら。


出たよ名古屋バック。この米原までの往復はなんだったんだ一体。

仕方なく、今大垣から乗ってきた折り返しの電車に乗り込み、大垣で乗り換えて名古屋へ。この時すでに19時過ぎ、そろそろ最後の一投をやってもいい時間帯。ちょうど名古屋というなかなかおもしろい土地にいるので、最後のフリップは2分の1にしてみた。


イメージとしてはサイコロゴールデンスペシャルの、大阪での最後の一投。あのとき、ミスターはまんまと千歳ではなく高知の目をだし、横にいた大泉洋氏は自分が所属する会社の社長を「バカ野郎!」と罵った。

朝、あんだけぼくを呼んでいた「奈良」。ぼくはこの奈良の誘惑を断ち切って、無事京都へゴールすることができるのか。結果は。


1。京都。無事ゴール。

実はぼくはこのとき、内心4~6の奈良の目を期待していた。ダメ人間ぽく締めたほうがサイコロの旅だろう、と。しかしここであっさりゴールの目を出してしまうということは、まだまだぼくはミスターのダメ人間っぷりに勝てないのかもしれない。


ということで、京都駅を出発して約17時間後、無事京都駅に戻ってきた。史上最強の時間浪費の旅、お疲れ様でした。。。

2012/03/13

倉敷美観地区




昨日の続き。

観戦終了後はファン仲間でぞろぞろと倉敷駅へ。久しぶりに美観地区を観光してきた。過去の写真フォルダを見るとどうも5年ぶりだったらしい。

前回は夏の暑い朝に観光したのだが、今回は夕方とあってまた美観地区が見せる景色が少し違う。5年前にはなかった星野仙一記念館のお土産コーナーにロッテファン10数人で突撃したりして(ここでお土産も買った)、とても楽しいひと時。まさしく「大人の修学旅行」だった。

そういえば、ファン仲間と試合を観戦してからこんな風に観光することっていままでなかったなあ。美観地区にはぼくたちと同じロッテファンもちらちらいた。だってジョニーの54番のユニフォーム着て観光してる人もいたんだもん。

その後は、左下の写真のお店でロッテファン飲み会。宮崎地鶏のお店だったがこれがまた美味く、コアな野球話も進んでいつまでも過ごしていたいひと時だった。が、そうもいかず19時半過ぎに撤収。ほろ酔いで帰りの山陽線に乗り込み、日付が変わったころにようやく実家最寄り駅に到着。こうして長い遠征が終わったのだった。

ご一緒した皆さん、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします!

(写真をクリックすると大きい写真がご覧いただけます)

2012/03/12

2012観戦記#1 3/10vs楽天@倉敷

PREXな2日間と同窓会、朝から晩まで楽しい日々が続く中、翌朝は4時半起床。実家最寄りの始発でスタートして、いざ倉敷マスカットスタジアムへ。


2012年千葉ロッテマリーンズ応援初め。相手はめったに見られない楽天戦。

この日は、朝9時半に岡山に着き、いったん四国へ渡ってうどんを食べて即Uターンし球場へ向かう予定だった。しかし京都駅で乗る予定だった快速が、ダイヤ改正で着く2分前にとっとと出て行ったことが判明し、おかげで岡山到着が10時半にまでずれ込む羽目に。結局うどんは食べず、そのまままっすぐスタジアムに着いた。

スタジアム最寄り駅の中庄駅にあるコンビニでお茶を買ってたら、偶然にも観戦仲間と遭遇。どうも同じ電車に乗っていたらしい。久々の再開に喜びながら一緒にスタジアムへ向かって、別の観戦仲間と合流。


入口へ向かってたら楽天のマスコット、クラッチがいたので一枚。


倉敷マスカットスタジアム初潜入。感覚的には、おととしのファーム日本選手権で行ったハードオフエコスタジアム新潟に似てるかなー、と言う印象。

「いやー、あけましておめでとうございますー!」となじみの観戦仲間とご挨拶。いつものように応援団席のすぐそばを確保していただいてたため、「なんか岡山まで来た感じがしないですねー」と言うメンバー構成に。でもその方がほっとするよね。


星野監督の始球式がおもいっきりワンバウンドする瞬間。ちなみに捕手は田淵コーチでバッターは岡山のネッツトヨタの社長さんらしい。


そして岡山と言えばやっぱりサブロー!いやあほんとにおかえりなさい。トレードの知らせを聞いたときは、まさかこんなに早く球場で「さああああぶろおおおおおおお!!!!!」コールができるとは思わなかった。因縁のトレード相手、工藤とのツーショットも実現。


さてさて、ロッテ先発は期待のドライチルーキー藤岡。これがまた評判通りの実力で、5回1安打無失点とほぼ完ぺきな内容。牧田の見逃し三振の時のストレートとか、遠目で観てても決まってたもんなあ。もうわくわくが止まらない。

しかし6回から登板のカルロス・ロサがどうもピリッとしない。内村と聖澤にヒットを打たれた後、牧田に2点タイムリーを浴びあっさり逆転。さらにその後、新外国人テレーロにもタイムリーを打たれきっちりダメ押し点を献上。


打つ方は、楽天先発・ヒメネスから初回エラーがらみで1点取っただけ。6回からは下柳(!)、9回には楽天の守護神・ラズナーにまんまと抑えられて、


敗北。

光明と言えば、先発藤岡が十分先発どころか、成瀬・唐川と合わせて3本柱形成できるレベルにあるところと、根元がこの日も3安打で19打数14安打とかいういったいどないしたんや?ってくらいの絶好調っぷりを見せたこと。

応援団の皆さんに挨拶した後、ぼくは今回岡山まで遠征されてた観戦仲間と倉敷観光に向かったのだが・・・これはまた明日。

2012/03/11

PREX京都合宿・後編→高校同窓会

前回の日記の続き。3月9日だったので「♪流れる季節の真ん中で~」をリピートしながら、雨の中京都市内へ。


久々に六地蔵から東西線経由で。

PREXメンバーと合流して、祇園から八坂神社・新京極周辺・錦市場をぶらぶら。ぼくの高校時代の思い出が詰まった街なだけに、ちょっとした違和感がありながら・・・。

それから京都駅に戻っていよいよPREXメンバーとはお別れ。また名古屋で会おう!と再会を固く約束して彼らはバスに乗り、ぼくは京都駅前バスターミナルから力いっぱい手を振り返し、感動的なシーンが展開されながらPREXメンバーは京都を離れた・・・

・・・訳ではなかった。

彼らが乗ったバスでなんと酔っ払いオヤジが大暴走。10分、20分経ってもバスが動かず、ぼくは寒い中彼らに手を振ることしかできず。結局30分経ってオヤジが逃亡し、しかも警察沙汰になったところでメンバーがぞろぞろ降りてきて「出るまで時間かかるよ」と言われたので、泣く泣くその場を後にした。

その後すぐ横浜から来られていた抜け蔵さんと合流し、18きっぷの購入にお付き合いいただいた後ベローチェで雑談タイム。ずっと寒い中にいたのでホットコーヒーがものすごく沁みた。

抜け蔵さんとお別れしたあと、再びバスに乗って母校へ。5年前の文化祭実行委員会メンバーが久しぶりに集まり、メンバーの近況をいろいろ聞きながら・・・


その時埋めたタイムカプセルを開封。ぼくはどうやら音楽部のメンバーと撮った写真と当日の名札、そして校内通信に乗せてもらった文化祭の振り返りの作文を埋めていたらしい。なんか恥ずかしい手紙を入れてた人もいたらしくめちゃくちゃ盛り上がった。

ちなみに手前の血みどろのシャツは、当時おばけ屋敷をやった時の衣装だったり。

それから飲み会。先生も交えてこうやって飲み会するのは初めてだったなー。ものすごく楽しかった。またこのメンバーで何度も何度も集まりたいなー、と思いながら、この日は1次会で解散。


翌日も朝早いのでとっとと実家へ。まだまだハードな日々は続く。

2012/03/09

PREX京都合宿・前編

さあ、今日書いとかないとネタがたまりにたまってえらいことになるぞ。

ということで、名古屋でちょくちょくお世話になってる企画サークルPREXの皆様が京都で合宿するとのことで、ご案内役をつとめさせていただいた。


まずは吉田神社。こないだ、鴨川ホルモー読んだから、「ああ、ここが!」って感じですげー楽しかった。鴨川ホルモー万歳。


京都大学でお昼食べて、構内探索。吉田寮はやっぱ独特な雰囲気あったなー(ちなみに撮影はいいらしいがネットには載せてはいけないらしい)。折田先生像も健在。ここでみんなで記念写真撮った。


続いて北野天満宮。梅がきれいで結構観光客多かったなー。


一条通り沿いの「魔法にかかったロバ」と言うカフェで開催された「Cafeあわわ」に突撃。個人的には、このCafeあわわのスタッフ・こんかなと久々に会えたのが嬉しかったなー。


本場の阿波踊りも数cmの距離で観られたし大満足。またやってほしいねー。


木屋町三条の豆腐屋さんで早い夕食。豆腐ハンバーグ。意外とおなかいっぱい。

で、このあとPREXメンバーと2時間半ほどミーティングして、宿に泊まるメンバーから離脱。ぼくは実家にもどり、また明朝市内へ移動してPREXメンバーと合流する予定。

てなもんで、寝ます。

2012/03/05

ぼくの母校の話。

金曜・土曜は母校の文化祭のために費やした2日間となった。

金曜の朝イチで岐阜から京都へ移動して、その足で母校まで。夕方まで作業した後実家に戻った。実家へ向かう電車内で寝てしまい、目が覚めたら実家の最寄り駅でドアが開く瞬間だった。あぶねー。うっかり快速に乗り遅れて最寄り駅どまりの電車に乗っててよかったよ。

で、土曜は朝から母校で文化祭本番。同窓会役員としてわちゃわちゃやってきた。文化祭プログラムの間違い探しに正解したらうっかり校内放送でインタビューに答えてしまう羽目になっちゃったり、打ち上げの記念写真のシャッター押しをやったり、とそこそこ目立ってしまい少し反省。

しっかし、まあ、なんですか、高校生って元気すぎる。模擬店宣伝の校内放送ひとつにしても「みなさーん、盛り上がってますかぁーっ!」ってハイテンションだし、打ち上げにしても突然クラッカーをパーン!と鳴らして誕生日祝ったり、写真撮影に大あらわ。今年22歳の人間にとっては完全にノリについていけず、こんな時期がオレにもあったんだよなあ・・・と妙な感傷に浸りながら見守ることしかできないのだった。

こうして2日ぶりに母校の空気にたっぷり触れたわけなのだが、やっぱうちの母校ってすげーなー、とか思った。

うちの母校は先生同士のチームワークが抜群な上、先生と生徒の距離がかなり近くて、生徒がものすごく先生を信頼している印象がある。これはぼくが在籍してた時から全く変わってない。生徒が先生をあだ名で呼ぶことも日常茶飯事(ぼくも高校の頃普通に先生をあだ名で呼んでた)だし、逆に先生が生徒をあだ名で呼ぶことも普通だ。なんだろう、生徒は先生を一種のお兄さんお姉さんっぽい感じで接してるんだろうな。

まあ、度が過ぎて完全に友達感覚で先生に接してる生徒もいるのは事実だが、それでもその態度をみてると「あ、この子、この先生のこと心から信頼してるんだなー」っていう気持ちは伝わってくる。そうじゃなかったら、軽音部のバンドステージで、先生と生徒が一緒に演奏することなんてないだろう。

これを聞いて、なんだその学校はけしからん、っていう人ももちろんいると思う。けど、ぼくはこんな学校も全然アリだと思う。全部の高校が同じような教育をしててもつまらない世の中になるだけだ。こんなスタイルの学校があっていいじゃないか。みんな違ってみんないい、というやつだ。

ぼくが母校に在籍してる頃はまったくそんなことは思わなかったのだが、周囲が就活就活してる中なので嫌でも将来を考えなければならない今の時期に母校に触れると、こういう職場なら楽しく働けるかもしれない、なんて、思ったり思わなかったり。少なくとも、これからの生き方を考えるいい機会になったな、と思う。

在籍中に比べて卒業して京都すら離れた今の方が母校が好きだなー、って思うし、帰省して顔出すたびにものすごく歓迎されたり、知らん間に卒業してから赴任された先生とも仲良くなったり、「またいつでも寄ってやー!」って言われたりするのって、嬉しいことだし幸せなことだよなぁ、と感じる。いつまで母校に甘えてるんだ、とか言われそうだけど。

・・・このページは実は母校の一部の先生が思いっきりチェックしている。だからなんだかこれアップするのけっこうこっ恥ずかしいんだけど、まあいいや。